神様がくれた休日

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森利右衛門五代記 100 東京編昭和14年

 「家に帰って来ないと思ったら、こんな事件を起こして、いったい何を考えているんだいこの子は、あんな不良どもと二度と関わるんじゃないよ」

イチがあきれ顔で説教する。

かずは黙って下を向いているが心の中は上の空だ、叱られようが勘当されようが、どうでもいいと思っている、 むしろ追い出された方が未練なく家を離れられるというものだ。

こんなことで小畑グループを離れる気になんかならない、むしろ今度の事でますます結束が深まった気になった、一時も早く彼らのもとに行きたい。

 

 かずは三幸印刷所の廃業が明らかになった頃から、少しずつ手元に残したお金が60円ほどあるので当座は困らない、自分一人なら数か月は食いつなげるし、たまに「満腹飯」で本気で働けば少しは金になる、そうでなくても手伝っていれば飯にはありつける。

そんなことを説教されながら考えている。

ちらっと横を見ると、東吉は我関せずといった感じで、火鉢にキセルを叩いている

東吉と言う男は、淡々としている、感情はあまり表に表さない、あんなのを見ると、かずは(東吉は思ったより大物なのか)と思うことがある

自分と比べても明らかに大人と子供の差は歴然だ、だからなおさら東吉に近づきたくないのだ、子ども扱いされるが怖いのだ。

 

「もうそれくらいでいいんじゃないか、かずも反省しているさ・・・なあ」と言った

イチも我に返って説教をやめた。

かずは行き場が無くて、どうしてよいのかわからないので狸寝入りを決め込んだ

自分の部屋(徳五郎が使っていた)に入ってふて寝したら朝になっていた。

部屋から出ると朝食が用意してあった、「食べな」とイチが台所で言った

大きな家ではないが、一間しかなかった御徒町の家に比べたら問題にならないほど広い

東吉の姿は無い。

 

かずは、イチと向かいあって朝食をとった。

食べ終わるとイチは片付けながら、「そろそろ仕事をしたらどうなんだい、仕事をしないからあんなことになるんだよ、今から怠け癖がついたら行く先は乞食か、ヤクザもんだよ」また説教が始まった。

かずはいたたまれなくなって、「おれ、浅草へ行ってくる」とセイ叔母さんをにおわせて外に出た。

あいかわらずハンチングにジャンパー、そして下駄の鼻緒が切れたので、また板裏草履だ、首には冴子が編んでくれた毛糸のマフラーをかっこよく巻いた。

かずは、そのまま横川橋の佐島健司の家に向かった、たぶんこの時間だと仕事に行ったかもしれない。 健司は間違いなくどこかの職工なのだ

居なけりゃ、鍵のありかは知ってるからそれを使って中に入ればいい

それにしても時間がありすぎる、さてどうしたものか、冴子にも連絡はつかないし

久しぶりに神田へでも行って映画を見ようかと思った。

あらためて、ゆっくりと神田の町を歩いてみると、こんなにあったのかと思うほど学校が多い、日大に明治、専修大学、そのほか中学や小学校、商業学校もある

狭い三崎町周辺だけでこれだけあるし、駿河台や今川小路の南の錦町、一ツ橋あたりにも多いと聞いている

(こんなに学校があって、大勢の中学生や大学生が居るのに、おれは小学校しか出ていない。 もっとまともな家に生まれていれば、俺だって中学くらいは行けたかもしれない)おもわずそんなことを考えてしまう。、いつのまにか僻み根性が身についたのだろうか。

 

 今川小路のロータリー、角の干物やの店先には茶色い数の子が並んでいる

左隣のクリーニング屋、右隣にはネジ屋が健在だ、みんな知った顔ばかりだ

むこうの材木店にはサイドカーの自転車が相変わらず置いてある

そんなに昔でもないのになぜだか懐かしい、それはそうだ、かずが初めて社会人として就職した街なのだから

三崎町の角にある大黒屋さん神田に来て、なぜか最初に印象に残った店だった、そしてせんべい屋に寄ってくずせんべいを買った、これらの店では、かずを覚えてくれていて、「おまえさんもまだ若いのに気の毒だったなあ」とか同情してくれる人が多かった

女将さんのことも聞いてみたら、店はやめたが今もあのまま住んでいるとのことだった、入院した社長の事はわからないと言った。

それから神保町の日活館に入って時間をつぶしてから、健司の家に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「五十年目の俺たちの旅」を見てきた

 1月9日封切りの「五十年目の俺たちの旅」を見てきた

 凡そこんなかな、と想像して見に行ったが、かなり重い内容だった。

構成は「男はつらいよ」シリーズの渥美清さん亡きあとにできた最終話、「おかえり寅さん」方式=今と過去の貼り合わせ映画。 中村雅俊の初監督作品だということだ

雰囲気が多少異なるのは当然であろうが、ピストルがいきなり出てくるのは意味が分からないし現実的ではないから、いらない場面だと思った。

あとは、お決まりの三人の友情物語に例の彼女たちが絡んでくる大人のドラマになっている。

「死んだはずの洋子が生きていた」というところからドラマは展開していって、興味をそそられる。

 

私にとって、同期の中村、秋野、7歳年上の秋野太作がどのように変わっていて、どのような演技するのか、また役柄では「三十年目・・・」から、どのように変わっているのか興味があった。

しかし役者だけあって若いね、秋野は歳相応のおじいさんになっていたが、セリフを言うとやはりテレビでの役柄そのままで少しも歳を取っていなかった。

そういえば秋野は「男はつらいよ」でも前半で何度か寅さんの舎弟の登役で出ていたな

最後は結婚していて食堂みたいなところにいた、婿入りしたんだったっけ?

寅さんは、「おまえはもう堅気なんだから、俺なんかと付き合うな」みたいに言って、去っていくんだった。

話がそれてしまった。 「おれたちの・・五十年目・・」は、最初は重いけど、最後はうまく締めくくっている。 エンドロールの最後にちょびっとサービス画像があるから、完全に終るまでは席を立たないように。

あとは見てのお楽しみ。

 

森利右衛門五代記 99 東京編昭和14年

 徳五郎が死んだ後もかずは滅多に家に帰らなかった、今は小畑グループで遊びまわっているのが楽しいのだ。

寝泊まりは主に佐島の長屋だが、たまに4~5日は江東橋の「満腹飯」を手伝って三食付きで店の休憩所で寝泊まりする

木俣は食堂に併設して20人ほどが泊れる簡易宿泊所も経営していた、一度だけその部屋に泊めさせてもらったこともある。

食堂の手伝いをする時は冴子も日中だけ、かずと一緒にここで働く、二人で一緒に居れば仕事だろうが遊びだろうが楽しい、そして夜は小畑グループが集まって錦糸町界隈で遊びまわる

もちろんお金が豊富にあるわけではないから金を浪費する遊びはできない

パチンコ屋にたむろしたり、放置自転車で遊んだりと他愛無い遊びばかりだ

かずも勧められて面白半分で酒、たばこを経験したが、酒は体質なのか下戸であることがわかった、タバコはすぐに一人前に吸うようになった。

 

 中国での戦争が長引いて金属類の需要が増えたので、金属類が値上がりしている

そこに目をつけて盗人まがいの銅線泥棒をしたこともある

悪いことだとわかっていても、盗んで逃げる時のスリルがたまらない

だが、このことが木俣の耳に入って、リーダーの小畑は随分脅されて脂を絞られた

木俣は法に背くようなことを決して許さなかった、かずたち少年も木俣に二度としないという約束をさせられた。

「金が必要ならここで稼げ、それが嫌なら別の仕事を紹介してやる」と木俣は言った。

 

 ある時、錦糸町をグループで歩いていると小畑が、「あっ!あいつら」と小声で言った

少し先を歩いているのは5人の若者だ、全体的にこっちよりも年齢が少しばかり上だと、かずは直感した。 連中も、こっちと同じような不良っぽいグループだ

小畑が近づいて、「おい、おまえら」と声をかけた、そのあとどんな事を言ったのか、5人と5人は集団になって楽天地の近くの寺の裏へ入った、かずもわけもわからぬままついて行く

女たちには駅前で待つように言ったので、この場にはいない

バス車庫の少し開けた場所でいきなり相手の一人が小畑に殴りかかった、それが引き金で一斉に乱闘が始まった

人数は同じだから、当然かずもいきなり殴りつけられた、油断していた

誰も理由を教えてくれないが、降りかかる火の粉は掃わなければ大やけどする

こんな時でも自分が冷静なのがわかった、相手はかずより5~6cmは背が高い中肉中背の男だ。 かずはいきなり履いていた下駄で相手のすねを蹴り上げた、「痛っ!」と前のめりになったので、今度は急所を蹴り上げた、男は倒れてころげた、そこを下駄でなおも蹴ってから、下駄を脱いで鼻緒を手にはめて、隣で組み合っている別の相手の後ろ頭を殴りつけた。

そんな時間が何分くらいだったのか、誰かが見たのだろう、警官が数名走りこんできた

逃げたのもいたが7人が捕まって交番に連れて行かれた。

みんな多かれ少なかれケガを負っている、かずも口から血が流れている、頬を殴られて口内が出血したのだろう、腹にも鈍痛がある、こんな喧嘩をしたのは初めてだった。

 

 このあたりの警察官は、こんな子供の喧嘩や酔っぱらいの喧嘩くらいでは騒がない、この一大歓楽地ではヤクザ同士の利権争いで刀やナイフを使う事件も珍しくないし、20代、30代の愚連隊だっているから小畑グループなんぞ可愛いいものだ。

みんな縄で両手をくくられて、数珠つなぎで交番の中に押し込められている

一人一人が事情聴取されて身元が判明していく

「いいかおまえたち、お国の一大事であるこのような時に、くだらない騒ぎをおこして戦場でご苦労されている兵隊に申し訳ないと思ぬのか、このような元気があるならば兵隊に志願して外地で敵と戦え、どうだ今から志願したら」などと説教される。

かずはまだ15歳なので、「親はどこに住んでいるのだ」などと亀戸に連絡されて、小一時間で東吉とイチが交番に青い顔をして駆けつけた。

 

 

忙しかった日曜日

 今日は結構忙しかった

この数日は7時半から8時間ころまで寝ていたので、すっかり怠け者になった

でも今朝は久しぶりに6時半起床で朝食を作ったので7時半には食事は終了。

買い物に出かけて、また昼食を作って、今日はニシンうどんとほうれん草ロールの卵焼きおかず。

昼から急に晴れてきたので急いで散歩に出かけた、 途中で今年初のお墓参りをして、薬師堂にも、御加護いただいている御礼をして帰ってきた、4000歩だった。

 

それから都道府県対抗駅伝をじっくり見て、録画した映画を見てから、夕飯の用意、今日は私が寿司を握ることにしたのだ。それで相撲は見るだけでブログ用の詳細は書けなかった。

あとは小説の資料が溜まりすぎたので整理したり、収納ボックスの中のいる物、いらない物の仕分けをしたりしていた。

 

今日はマグロ、ぶり、鯛の三種握りの盛り込み、他にお稲荷さんを作った。

これ1人前

散歩したけど、もう雪はほとんど消えてしまい、埋もれていた畑も顔をだした。

私は今は大根が10数本残っていて、寒さのために大きくならないでせいぜい30㎝までの可愛い大根。 だけど色白ですべすべの粉雪肌で、味もしっとりと水分を含んでいて、管大根は、おろしで食べると最高。

そのままご飯に乗せたり、天ぷらのお供だったり、焼き立ての餅にのっけて食べたり

あとは植木鉢のPマンが頑張っていて、10個くらいついているので、食用ではなく観賞用として楽しんでいる。

今の野菜作りはこの2つだけだ。

 

大相撲は6年ぶりの天覧相撲というのに横綱大関が4人全員負ける大波乱、大の里も豊昇龍もあっという間に負けてしまって、発覚理事長は憮然として笑顔無し

天皇、皇后、愛子さまの笑顔ばかりが目立った。

森利右衛門五代記 98 東京編昭和14年

 福神橋明治通りにあって、その先の吾嬬町は東が東〇丁目、西側が西〇丁目と区分されている。 徳五郎が亀戸に来てからは一丁目にある床屋に通っている

今は立花〇丁目となっているが、家から歩いても500mそこそこなので徳五郎の足でもゆっくり歩いても15分もあれば着くのだ。

 

 家を出たのは8時半ごろだった、床屋には9時前に着いて、朝一番の客だったから9時には散髪が始まった。

徳五郎の「天神髭」の名前は吾嬬町にも知れるほどだったから、床屋の親父もよく知っていた。 それでおしゃべりな親父は何かと話しかける

徳五郎は、どちらかと言えば気難しい無口な男だから適当に「ああ」とか「そうだ」などと短く受け答えするだけである。

いつも髪をカットして整え、頭を洗い、肩から背中、腕、手までマッサージしてくれる

自慢の天神髭も伸びた分を切って整えるが、細かなところは徳五郎が自分で整える。

 

15分くらい髪の毛をあたっていたが、話しかける親父に対して面倒になったのか徳五郎は全く答えなくなった。

親父もしゃべりすぎて気分を害したかなと反省して黙って、いつも通りに進めてから「はい旦那、頭を洗いますから」と言ったが、いつもは目の前の水盤に頭を倒すのだが動こうとしない、親父は(寝てしまったかなと思ったが、「旦那、あたまあらいますよ」ともう一度、少し大きめの声で言った

それでも反応が無いので、肩をゆすった、すると徳五郎の肩が落ちて首がうなだれた

親父はびっくりした、「旦那、旦那大丈夫ですかい」しかし反応が無いので驚いて近くの医者を呼んだ、医者はじきにやってきて目と脈をとって、「これはだめだよ、警察だおまわりを呼びなさい」と言った

床屋の親父は青ざめて警察に電話をかけた、三幸印刷所の場合とまったく同じことが、この床屋でも起きたのだ、当然ながら事件性は無いことはすぐにわかった。

床屋の親父は店を閉めると、急いで亀戸まで自転車を飛ばして東吉に伝えた。

 

 徳五郎の通夜が家族親戚と近隣だけで行われたのは、翌日であった

古河の光圓寺にも連絡して、光圓寺とつながりがある亀戸の浄土真宗の寺を紹介してもらい葬儀を行った。

 

 徳五郎の生まれ故郷の栃木県馬頭町の実家には、甥も死んで甥の子がいるだけで疎遠になっていたから連絡はしなかった。 また茨城の玉川町も徳五郎が古河に来るときに土地建物を処分したので三人の従姉妹の消息も定かでなく、そこも連絡しなかった。

だから林家を名乗る人間は誰一人参列しなかったのである。

だが新しい家族である森家、森山家の人々が集まってくれたので寂しい葬式にはならなかった、人生半ばまで一人で暮らしてきた徳五郎も、73年の人生の終いは見守られてのものだったから幸せだったのだろう、徳五郎が生まれたのは江戸時代最後の年号の慶応二年であった

この年には、まだ坂本龍馬土方歳三西郷隆盛も生きていたのだ。

 

徳五郎の遺骨はイチと東吉が古河まで行ってそこで初七日を詠んでもらい、光圓寺の林家の墓に納めた

そして来年の秋に徳五郎が願っていたのを知ったかのように徳五郎の一周忌、シチの三回忌、正六の13回忌、キクの10年の法要を頼んできた。

 

 

 

歯医者の待合室

「わたし、マイナンバーカード初めて使ったので、わからなくて焦っちゃいました」

私の隣に座った小顔のポニーテールのおねえさん、いきなり話しかけてきた、40歳前後かな。

待合室のソファーは4人掛けなのに、両端には治療室に入っている2人の80代くらいの女性が置いて行ったコートと帽子が占領している。

マイナンバーも最近は保険証だけでなくて、免許証も一緒にとか面倒になったよね、免許証はどうしてる?」

「私は落とすと嫌だから別々です」「そうだよね、その方がいいと思うよ」

そして看護婦さんに名前を呼ばれて、前後して治療室へ入り、前後して治療が終わってほぼ同時に待合室に戻った。

そしてまた座って話した

「歯医者さんって初めてなんで緊張しました」

「虫歯?」「いいえ、歯が欠けたので」

 

マイナンバーをつくったときポイントもらいました?」

「申し込みが遅くて、締め切った後だったんですよ」

「それは残念だね、私は20000ポイントだったけど、通帳の紐付けが嫌で13000ポイントだけもらった」

「わあ~おっきいですね」

「うん、まあまあ使い出があったよ」「いいなあ」

「国も申し込みがなかなか無くてポイントを付けたんだよね、だから早すぎた人ももらえなかったんじゃないかな」

「わたしは遅かったし」

「残念だったね、わたしはポイントを入れる場所が無いからセブンでnanacoカードを作って、そこに入れた」

「そうなんですか」

これだけ話したら、会計の案内で呼ばれて会計を済ませて、帰りがけに「お先に失礼します」

今日はスマホを忘れて退屈だなあと思っていたら、他愛ない会話だけど思いがけない話し相手が出来て良かった。

でも初対面の高齢者に気軽に声をかけてくるなんて、今の人はあっけらかんとしていていいな。

やっぱり犬も歩けば棒に当たる、外にでなけりゃダメだね。

 

先日快晴の日に歩いた散歩道

 

 

森利右衛門五代記 97 東京編昭和14年

 佐島健司、17歳。  東京のどこぞかの貧しい家で生まれた。

親父は飲んだくれのろくでなしで、日雇いに出て稼いだ金はほとんど酒になった

だから一家はいつも飢えている。 母親も、ことあるごとに親父に暴力をふるわれて委縮して生きている

近所の屑鉄屋に雇ってもらって日銭を稼ぎ、それで何とか食い物を得る

その金さえ、雨が降れば仕事が無くなる親父の酒代になってしまう。

 

佐島は小学校には入ることができたが、服装からして惨めだったから虐めの対象にされた、かずも同じ経験をしてきたから佐島の気持ちはよく分かった。

そういう点では、まだかずの方が家族的には、マシであった。

 

 佐島の妹の益子は小学校にさえ、ろくにやってもらえなかった。

毎日昼食は握り飯一個か、何もなかった。 だから益子は小さな盗みもした

それが学校や警察から家に伝わると折檻された。 益子はいつも泣いていた

兄の健司だけが益子をかばった、そして健司が小学校6年生、益子が4年生の時に家を飛び出した。

だが子供の知恵ではどうにもならず、益子は家に連れ戻され、また酷い暮らしに帰った

健司は、そんなとき「満腹飯」木俣に拾われた。そこで小畑たちと知り合った

それ以来、家に帰ったことは無いそうだ

だが、いつか益子を自分が助け出したいという。

 

 健司は、かずより2歳年上だが、頭が切れるかずを同等に扱ってくれた、「行くところが無けりゃいつでもここに来いよ」と言ってくれた。

どこかの工場で働いているらしいが、そこまではお互い言わないのがグループのルールだ、冴子が日中何をして暮らしているのか、どこに住んでいるのかさえ、かずは知らないし、メンバーもかずの家について知らないし、聞くこともなかった

会いたくなったら、「満腹飯」でいつでもグループの情報は聞けたし、集まった時に次回の約束もしたから、頻繁に会うことができたのだった。

 

 話は亀戸に戻る。 時は昭和14年も押し迫ってきた11月23日。

徳五郎は散髪に行くために家を出て、北十間川をの福神橋を歩いていた。

東吉が最初に亀戸に来たときは駅に近い二丁目に引っ越したのだが、大家と仲たがいして三丁目に移った。

ここは亀戸天神社の裏手の一角で、「ご利益あるぞ」と東吉も今度は大威張りだ

目の前には普門院があり、反対側は亀戸三業組合事務所がある硬軟併せ持った地域である。

亀戸三業地は子供には刺激が強い場所でもある、花街、遊郭、料亭に待合、劇場、飲食店、置屋に芸妓、女給などにも出会う

北十間川は、家のすぐ北側にある、福神橋の北詰は吾嬬町で左手には花王石鹸の工場がり、他にも大小多くの工場が立ちならんで工場地帯を形成している。

その労働者のおかげで、亀戸の町は賑わっている。

田舎からやった来た徳五郎には、この喧騒はいささか居心地がよくない

若い頃は宇都宮や水戸でも軍隊景気で、徳五郎も遊んだことがあるが、亀戸のそれは問題にならないくらいにぎやかだ

亀戸天満宮の参拝に東京市内の各所から人が集まったことも亀戸の賑わいと関連している

今は北十間川を西に遡れば柳島を経て東京スカイツリーの真下に至る。

 

 徳五郎は川をながめながらゆっくりと歩く、古河に住んでいた時には渡良瀬遊水地の土手を散歩したものだった。

堰堤は半端なく高いから、そこに上がれば一気に四方の眺望が開けて気持ちよかった

キクが元気で、正六も小学校に入学した頃には三人で歩いたことも何度もある

あの頃の古河での暮らしが、徳五郎にとってもっとも幸せな時代であった

あれから僅か10年と少しの間で、正六は水死したし、心身ともに衰弱したキクもクリスマスの夜にろうそくの灯が消えるように静かに命を終えたのであった。

 

 そんなことを思い出して徳五郎は(今年は、とうとう古河へ墓参りに行くことができなかった、汽車に乗ればたいした行程でもないのに、儂としたことが迂闊だった、冬が来る前になんとかして墓参りに帰ろう・・・そうだ数えて見たら来年は正六は13回忌、キクは10年目になる、シチさんも今年は3回忌だった、うっかりしておった、儂も老いたもんだ、東吉はともかくイチも気づかなかったものか、イチに相談して来春にでも古河で法事をやるか)などと思うのであった。

 

登場人物

 

森かず 昭和編の主人公 

森イチ かずの母

森山東吉 イチと同棲

林徳五郎 イチの養父 キクの夫

林キク イチの母、かずの祖母

林シチ キクの母 かずの祖祖母

林正六 徳五郎とキクの息子 水死

島健司 かずの仲間

木俣 錦糸町の飲食店「満腹飯」の店主